彦根藩足軽組屋敷善利組の屋敷跡は侵入する敵を迎え撃つ仕組みがあった

国宝天守をもつ彦根市彦根城(日本100名城)の南には攻めてくる敵を迎え撃つ足軽の屋敷がありました。それが彦根藩足軽組・善利組(せりぐみ)の屋敷跡です。現在では住宅地になっていますが、区画や道、そして屋敷が点在して残っています。

観光地の向こう側

彦根城の城下町はキャッスルロードという観光地になっていますが、その南側に足軽屋敷群が残っています。普通の観光客は行かない場所ですが、そこに旨味があるのです。

なぜここに足軽屋敷があったのかという理由は彦根城の歴史に関係しています。彦根城は東を山、北を湖(現在では埋め立てられている)、西を琵琶湖に守られていて、唯一攻め寄せる事ができるのが南です。そこで芹川(せりがわ)を掘にして防衛するために足軽たちの屋敷を彦根城の南側に配置していました。

これは現地看板。彦根城から南に向かうとキャッスルロードという城下町を活かした観光施設群がありますが、そのもうひとつ南に足軽屋敷群が残っています。の番号は当時の建物。

ここに来たい!

旧彦根藩足軽組屋敷でも私のオススメは旧磯島家住宅。ここはほぼ中心地にあり、敵や不審者の監視を行っていた辻番所でもありました。画像を見てみると十字路なのですが、区画が縦横ズレているのがわかりますか?これは道の監視をしやすくする工夫なのです。

>>旧磯島家住宅の地図

監視のしくみ

もし十字路だと建物から見える範囲は限られており、道の向こう側までは見えません。

でも十字路をズラすと道の向こう側まで見えます。

道に色を付けてみました。南北が緑色。そして東西が赤色。ズレているのがわかりますね。

東西側から見てもズレているのがわかります。

中から見てみる

旧磯島家住宅は土日だけ開放してあり中に入ることが可能。見張り窓から外を見てみます。

この様に道の向こう側まで見えます。江戸時代も交代制で24時間監視されていたとか。軍勢が攻めてきた時は防ぎきれませんが、不審者や集団くらいならここから監視して他に報せることができるのです。

私の感想

彦根城は日本100名城に認定されていますし、国宝天守をいうことで多くの観光客が訪れます。それに+アルファで足軽善利組屋敷跡を追加すると、彦根城の城巡りも充実度が増すのではと思いました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする