豊臣秀長に仕えた築城の名手・藤堂高虎は現在の滋賀県犬上郡甲良町出身と言われています。高虎といえば、今までマイナー武将に数えられてしましたが、令和八年(2026)のNHK大河ドラマ・豊臣兄弟!で有名武将として脚光を浴びる様になりました。その生誕地がどの様になっているのか?今回訪れてみました。
出生地がこちら
藤堂高虎の藤堂家は、もともとこの地の土豪(どごう:地域の有力者)でしたが、祖父の代にはその勢力も弱まっていました。
在子村は井伊公(直孝公)が元名『藤堂村』を在子村と改めた。面積は東西200歩、南北150歩で、北側に八幡神社があり、藤堂の祠と伝えられている。永源寺道の起点より西に200歩、北および東に返った所を『城之内』(しろのうち)と呼ばれており、ここに藤堂高虎公の先祖「白雲公」が築き上げた場所の跡が見受けられる。
(注)1歩とは左右の足を踏み出した長さ(日本でいう2歩のこと)
永正十三年(1516)にこの地で高虎は生まれたといわれています。
顕彰されている公園
生誕地から東へ300mほど離れた高虎公園に藤堂高虎の銅像が建立されています。甲冑姿で馬に乗ったこの銅像は津城跡(三重県津市)と同じですね。
これは公園内にある高虎公ゆかりの残念石。案内板によると、この巨石は高虎が伊勢・伊賀で32万石の安濃津城主だった時、大坂城の再建に使用する目的で切り出された石ですが、何らかの理由で木津川に取り残されていたものです。後世の平成十一年、「創意と工夫の郷づくり事業」の補助を受けて設置されました。
側面をよく見ると、石を割る時にできた矢穴、刻印などが残されています。せっかく切り出したのにどういった理由で残されたのか?気になります。
所要時間と私の感想
藤堂高虎の出生地の所要時間は、一通り見て約30分ほどでした。私の感想ですが、城巡りファンとしては知名度が高い藤堂高虎の生まれた場所を見ることができて良かったです。