滋賀県犬上郡甲良町尼子に戦国武将・尼子氏発祥の地という場所があります。尼子氏といえば中国地方で毛利元就と戦った尼子氏を思い浮かべますが、その尼子氏の発祥の地がかつての近江国、現在の滋賀県なのです。どの様ないきさつがあるのか?また現地には何が残っているのか?調べてみました。
現地の看板
現地看板に尼子氏について詳しく書かれていました。要約すると以下の通り。
●京極家の分家が尼子氏
●正平二年(1347)尼子高久がこの地に尼子城を築いた
●高久の嫡男・詮久(はるひさ)が近江尼子氏の祖なった
●高久の次男・持久(もちひさ)が出雲尼子氏の祖となった
▼近江尼子氏は二代で没落
▲出雲尼子氏は山陰山陽道の覇者となった
つまり本家は近江尼子氏なのでしょうけれど、本家は没落し、出雲に行った分家?尼子氏が勢力を拡大。大内氏、毛利氏と中国地方の覇権をかけて戦う様になります。
そして城址
没落してしまった本家・近江尼子氏の居城だった尼子城址は、滋賀県甲良町の土塁公園にその史跡を残しています。土塁公園には尼子城時代の堀と土塁が残されています。
もとは藪で、その中に残されていた堀と土塁を整備して公園化しました。尼子城址の一部分ですが、これも見事に残っています。
ちょっと足を伸ばしてみる
土塁公園から徒歩5分の場所にある殿城池は、かつての尼子城の堀跡といわれる池があります。地元の顕彰会が建てた看板に興味深いことが書かれていました。
殿城池は、ありし日の尼子城の堀跡です。昭和初期まで池の西、深さ四、五米で北側に湾曲した竹藪となった堀跡が続いていましたが戦後宅地に変貌しました。
村の東、玄翁堂裏の竹藪から尼子城の土塁と堀跡が県教育委員会により発見され、室町時代では広大な平城であったことが判明しました。
つまりこういうこと
これは殿城池の南を向いている写真(左が西、右が東)。よく見ると暗渠が埋設してあり、これがかつての堀跡の水道ではないか?と思いました。また案内看板にあるように先ほど、紹介した土塁公園まで繋がっていた様です。
私の感想ですが、この殿城池から土塁公園まで歩くと、堀が繋がっていたのですから、尼子城の規模が分かると思います。周辺は平地なので平城ですが、尼子氏発祥の地の城跡を体感できる貴重な史跡ではないかと思います。