滋賀県米原市に慶長五年(1600)の関ケ原の戦いで西軍として戦った大谷吉継の首塚といわれるものがあります。
アクセスと駐車場
大谷吉継の首塚へのアクセスを説明します。まずは電車編。電車での行き方はJR米原駅を目指します。西口から徒歩で移動します。所要時間は薬10分ほど。
次に車でのアクセス方法。地図にしたがって首塚まで行くと、すぐ側に専用の駐車場がありそこに車を止めることができます。
なぜここにあるのか?
大谷吉継の首塚関ヶ原の合戦(1600)で、西軍石田方の参謀として奮迅の働きをした大谷刑部吉継(1559~1600)の首塚と伝えられています。小形の一石五輪塔で、半間四方の覆屋の祠の中にまつられています。大谷刑部は、石田三成と同じころに羽柴秀吉に召し抱えられ、関ヶ原合戦のときには越前敦賀五万石の領主でした。関ヶ原でも小早川秀秋の裏切りによって、西軍の敗北を悟った吉継が、敵に首を渡さないよう、湯浅五助の介錯で自刃し、甥の祐玄(ゆうげん)が首級を錦の袋に入れて、敦賀への逃亡の途上に、この地に埋め隠したといわれています。いまでも地元の人々によって大切に守られ、供養されています。
米原市教育委員会 平成23年度埋蔵文化財活用事業
現地看板には、大谷吉継を介錯をした湯浅五助から祐玄に首が渡り、この地に埋葬されたということです。ちなみに関ケ原にも大谷吉継の墓がありますが、あれは戦場で戦った藤堂高虎のい子孫が後年に建てたものです。
ファンが集う聖地
首塚の側にファンノートがありました。大谷吉継を慕う皆さんが訪れた感想や想いを残そうと綴った1冊です。
私の感想
私が大谷吉継の首塚を訪れたキッカケは、大谷吉継が好きな武将のひとりだというのがありました。またこの日は同じ米原市にある鎌刃城(日本続100名城)に行く途中だったので、セットで訪れることもできました。
大谷吉継は関ケ原合戦で負けた側ですが、その生き様やエピソードが好きで、関ケ原の陣跡はもちろん、居城だった敦賀城址にも行きました。ゆかりの地も岐阜県や滋賀県、福井県に点在していますので、大谷吉継が好きな方にはオススメの史跡です。