山内一豊の妻は滋賀県生まれだった!?その根拠と若宮氏館跡

滋賀県米原市の若宮氏館跡は、戦国武将・山内一豊の妻の生誕地といわれている場所です。

>>若宮氏館跡の地図

地元の伝承

若宮氏館

京極氏(後に浅井氏)の重臣『若宮氏』の居城とされ、館の堀跡と見られる「水路」のみが現存している。若宮氏については、佐々木南北諸士帳や高知県大脇文書等に記載されている。昔から若宮仲間があり、遺領の土地や位牌を守り毎年法要を行っている。戦国武将で有名な山内一豊の夫人「千代」は当若宮氏の出とされる

平成八年十月 淡海文化

石板の補足として、山内一豊の妻が滋賀県生れとされる説は以下の通り。

●浅井氏家臣・若宮喜助友興(わかみや きすけ ともおき)の子として弘治三年(1557)にこの地で生まれた。

●幼名は『まつ』。

●永禄九年(1566)に父が戦死。以後は伯母の夫・不破氏に養われていた。

●成長して飯村に帰郷していた時、隣の宇賀野村にいた法秀院(一豊の母)のもとへ裁縫見習いへ行っており、そこで気に入られ一豊の妻になった(この時14歳)

山内一豊の妻は郡上(くじょう:岐阜県郡上市)出身という説もありますが、近江つまり滋賀県の出身ともいわれ、その場所が米原市の若宮氏館跡です。

私の感想

かつての館跡に建立された若宮氏の顕彰碑。地元では有名な一族だったみたいです。私の感想ですが、功名が辻で有名な一豊夫人の生誕地説が滋賀県にもあって興味深かったです。夫の山内一豊も愛知県岩倉市、一宮市の2つに生誕地説があります。今後の歴史研究に期待されます。

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