戦国時代に今川義元の一門(いちもん:親戚)になり、徳川家康と戦い居城の三河・上ノ郷城(かみのごうじょう:愛知県蒲郡市)が落城した鵜殿長照の鵜殿氏は、三重県南牟婁郡紀宝町鵜殿が発祥の地です。現在でも鵜殿城址が残っています。ではどんなところなのか?チェックしてみましょう。
観光案内が要チェックレベル!
これは紀宝町鵜殿駅前になる観光案内図。これの向かって左側をよく見てみると…
紀宝町立矢渕中学校周辺に鵜殿家の史跡が固まっているのがよくわかります。ここを拠点に史跡巡りを楽しむことができますね。
烏止野神社
鵜殿氏発祥の地・紀宝町鵜殿を楽しむなら、まずは烏止野神社(うどのじんじゃ)に向かいます。この烏止野神社がいつごろに創建されたのかは、よくわかっておらず、明治40年に旧鵜殿村のいろんな場所にあった社(若宮、稲荷、秋葉など)が合祀され現代に至ります。まさに鵜殿地区の氏神様ですね。
そして城址へ
烏止野神社の隣に児童公園がありますが、ここのループ滑り台の横から鵜殿城址へ登る事ができます。
山を登りますが、ハイキングコースみたいに道は整備されています。
鵜殿城址
児童公園から徒歩10分ほどで鵜殿城址へ到着です。中央に曲輪がひとつ、ど~んと配備されている単曲輪の城だったみたいです。主郭(本丸)の周辺には土塁が残っています。
土塁の外側にはうっすらですが堀も確認できました。
もし体力に余裕があるなら、主郭(曲輪)のすぐ側面を見てみましょう。切岸(きりぎし)です。切岸とは人工的に角度をつけた崖のこと。当時は掴む木も無かったので、甲冑を来てこれを登れといわれると、ちょっとキツイです…
現在の天守
主郭(曲輪)のすぐ側に現代の物見櫓ともいえる展望台があります。ここから海があった方面を見ることができます。鵜殿氏は熊野水軍の将だったので、水軍の指揮官でもありました。ここから水軍の調練(ちょうれん:訓練のこと)を見ていたのかもしれません。
戦国時代、現在の愛知県 #蒲郡市 に勢力を持っていた #上ノ郷城 の #鵜殿長照 の鵜殿氏は、もとは #熊野水軍 の将で新宮鵜殿村(三重県紀宝町鵜殿)の土豪でした。
現在でも地元には鵜殿城址が残ります。そこからの動画です。
海を見渡せる立地にあり、まさに #水軍の城 という感じです。 pic.twitter.com/sDVwiqvVQw
— 愛知戦国史跡ナビゲ-タ-・みかわのひで (@mikawanohide) December 27, 2024
鵜殿氏一門の墓
鵜殿城址から尾根沿いに行ける貴祢谷神社(きねがたじんじゃ)には、鵜殿氏一門の墓があります。鵜殿町内の各地にあった鵜殿一族の墓石と思われるものをこの地に集めて祀ってあります。
私の感想
私の鵜殿城址の感想ですが、地元の三河・上ノ郷城で有名な鵜殿氏発祥の地ということで、個人的に楽しめました。また城址は単曲輪の縄張りですが、曲輪、堀、土塁、切岸など確認できます。所要時間は10分ほどです。
鵜殿長照を含む鵜殿氏に興味がある人はもちろん、すぐ近くの新宮城(続日本100名城)とセットで楽しむことができると思います。