三重県鈴鹿市の江島公園は徳川家康が伊賀越えで渡った浜といわれています。ここから三河(愛知県東部)に向けて船で渡りました。
天正10年(1582)徳川家康は、織田信長の招きで泉州(大阪府の一部)堺を見物中に本能寺の変を聞くや急ぎ帰国を決め、6月2日家臣3人(推定)を従え伊賀越えをして亀山を抜け、この江島北部(当時の川南村)にたどり着いたが、そのとき落ち武者捕縛の手に遮られたので、とっさに小川孫助(元源三位頼政家臣)の農事納屋に身を隠した。
捜索人は孫三に対し、かくまったことを申せ、とせまったが孫三は騒がず疑わば探せと麦束積みの手を休めず答えて捜索人を去らせた。この孫三の勇気と奇知によって、九死に一生を得た家康は6月4日夜ひそかにこの浦(白子若松浦)から孫三の漕ぐ船で無事駿河に戻ることができ、天下統一の第一歩を踏み出した。
そして対岸
海の向こうは愛知県の知多半島。家康の逃走ルートにもいくつかの説があり、ここから知多半島に上陸した、または三河大浜(愛知県碧南市)に向かったなど複数あります。
三重県 #鈴鹿市 の #白子の浜(しろこのはま)に行ってきました。天正十年(1582)の #本能寺の変 後、#徳川家康 が #伊賀越え の後、ここから尾張(もしくは三河)に渡ったとされる場所です。… pic.twitter.com/5D4FU9V2mH
— 愛知戦国史跡ナビゲ-タ-・みかわのひで (@mikawanohide) October 13, 2024
家康が伊賀越えで食べた漬物
ところで三重県伊賀地方には徳川家康らが伊賀越えの際に地元の支援者からもらった漬物、伊賀越え漬けがあります。もともとは伊賀地方に伝わる漬物ですが、塩分を摂ることもできますし、保存食として持ち歩けます。
瓜をくり抜いて中にいろんな具材を詰め込んだもので、私も伊賀上野城(日本100名城)や伊勢神宮に行った時にはよく購入します。
私の感想
私の白子の浜の感想ですが、開発が進んで公園化されたとはいえ、対岸から尾張(知多半島)を見渡せる立地はそのままです。また地元の案内看板もわかりやすくてよいと思います。