和歌山県新宮(しんぐう)市の新宮城は見事な石垣が残る城として知られています。城内、城外には様々な石垣がありますが、私が実際に巡ってみてこれは要チェック!と思った印象的なものを4つお伝えします。
浅野氏と水野氏の石垣が並ぶ
本丸から出丸にかけての石垣は犬走りみたいな細い通路がありますが、その上下で浅野氏時代と水野氏時代の石垣が並んで見ることができます。
●浅野氏 慶長五年(1600)~元和五年(1619)
●水野氏 元和五年(1619)~明治五年(1872)
この石垣の特徴は、浅野氏時代は野面積みで水野氏時代は切込接ぎです。野面積みは自然石をほとんど加工せずにパズルみたいに積んだ工法。切込接ぎは石の接地面のスキマを無くすくらいピッタリに積んだ工法です。
刻印石
新宮城にはなぜか刻印(こくいん)石があります。刻印石とはマークを刻んだ石。天下普請(てんかぶしん)など、複数の大名家が築城に携わる時、他の大名家に石を間違えて持っていかれない様に付けたマークです。
新宮城は天下普請の城ではないのに刻印石がある理由はなぜ?おそらくは他の城から持ってきた石、またはその他の理由があるのでしょうか?
埋められた通路
本丸から出丸に向かう石垣を注意して見ると、かつての通路が埋められているのがわかります。
↑矢印を辿っていくとライン(線)が見えますよね?周辺の石の積み方とは違います。ここに出丸に向かう通路があり、後でそれを埋めたことがわかります。
工法が違う石垣
駐車場のすぐ上、鐘ノ丸の石垣を見てみると左右対称の積み方に気付きます。向かって右はスキマに石を打ち込む打込接ぎという工法。左側は石の接地面のスキマを無くすくらいピッタリに積んだ切込接ぎという工法です。
最初に紹介した浅野氏と水野氏の時代の違い石垣は、つながっていないので浅野氏の石垣の上に水野氏が積んだことがわかります。でもこれは同じ石垣部分での工法の違いなので、おそらくは積んだ石垣が崩れて、それを補修したものなのでしょう。
#続日本100名城 に認定されている和歌山県の #新宮城。石垣が見事な城です。よく見ると時代による石垣の積み直しのラインがあるのわかりますか?工法と職人の技術の違いが、#石垣 のラインに出ています。 pic.twitter.com/ORGynJHXU9
— 愛知戦国史跡ナビゲ-タ-・みかわのひで (@mikawanohide) January 17, 2025
私の感想
個人的に思った新宮城の石垣のポイント4つをお伝えしましたがいかがでしたか?私の感想ですが、全国の石垣の城を見てみると、石垣は時間と共に劣化して崩れてしまうので、早めに見ておいたほうがよいですね。また新宮城に行ったことがある方で、今回お伝えした以外に『こんな石垣もあるよ!』と、興味ふかい石垣を知っている方はぜひ、教えて下さい。