戦国時代の大河ドラマでもよく出演する織田信長の妹・市の方は絶世の美女だったといわれています。そのお市の方ですが、生涯で二人のダンナさんがいました。ひとりは浅井長政。もうひとりは柴田勝家です。じつはこの二人のダンナさん、愛知県ゆかりの武将なので
『え?!』と思われた方もいるのでは?柴田勝家はともかく、なぜ北近江の戦国武将・浅井長政が愛知県ゆかりの戦国武将なのか?実は『ゆかり』というのがポイントなんです!
まずは柴田勝家
柴田勝家は織田家の重臣だった人で、【瓶割柴田】(かめわりしばた)と異名を持つ豪将でした。祖父の代に越後(新潟県)の新発田から尾張に移り住んだといわれています。
生まれた場所は現在の名古屋市名東区にあった下社城(しもやしろじょう)。現在は明徳寺というお寺になっていますが、高台の頂上付近にあり、周囲を見渡せる地形です。その明徳寺境内に下社城址の碑と柴田勝家の生誕地碑が建っています。
そして浅井長政
愛知県春日井市にある名鉄・間内駅(まないえき)前に長政の銅像が建っています。その理由ですが…
小谷城落城時、長政の側室・【八重の方】が出産した【七郎】という長政の子を連れて美濃へ逃れたとか。その後、世が平定されてから尾張に移り住みました。その後子孫は代々その地に住み続けましたが、大正年間にゆえあって神奈川県に移ることになりました。その際、先祖伝来の地を離れるという事で、浅井長政の銅像を建て、後にその地に名鉄電車が通ることになったんですね。
なので名鉄電車の駅前に、ずど~んと浅井長政の銅像が建っているワケなのです。春日井市、名古屋市名東区を訪れた際には、お市の方の夫の史跡を訪れてみませんか?