大阪市中央区の細川忠興屋敷跡は、関ヶ原の戦いの前に忠興の妻で明智光秀の娘・ガラシャが亡くなった場所です。
関ヶ原合戦前、石田三成が挙兵し大坂にいた諸大名の家族を人質にしました。その時、細川忠興の妻・たま(洗礼名ガラシャ)は、人質になることを拒み自害しようとしましたが、キリシタンは自害が禁止されており、家臣に胸を突かせて亡くなりました。その現場が大阪市中央区の細川越中守忠興屋敷跡です。
現地は道路と住宅地になっていますが、台所の井戸といわれるものが残っています。これが越中井です。大きな蓋があって中をみることはできません。
細川忠興屋敷跡から南に200mほど、徒歩3分の場所にある大阪高松カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック玉造教会)には、入口のところに細川ガラシャの像があります。この辺まで屋敷地だったのかもしれません。
私の感想ですが、細川ガラシャの関ケ原合戦前に亡くなったエピソードは有名ですが、その現場が今でも残っているのは驚きました。今では屋敷跡の痕跡は井戸しか残っていませんが、ここも関ケ原の戦い関連史跡です。