前田利家が足立六兵衛を討ち織田家復帰を許された岐阜県安八町森部古戦場

岐阜県安八郡安八町の森部古戦場は永禄四年(1561)に織田信長と斎藤龍興の軍が戦った森部の戦いの跡です。

>>森部古戦場の地図

安八町史跡 森部合戦の古戦場・薬師堂

永禄四年(1561)織田信長は西美濃を征服しようと、本郷村より長良川を渡って森部村に進出、斎藤龍興の軍と戦いました。斎藤軍6000人に対し、織田軍1500人で対戦し、墨俣の下宿から押し寄せてきた斎藤軍を信長は味方を三手に分け、敵をはさみうちにして破りました。

この戦いで前田利家は、以前からの勘気を解かんものと、一番に敵陣に討ち入り、首級二つ信長に差し出し、ようやく許されました。従って利家にとっては出世の門出となる戦いでした。

森部城主 河村久五郎らの働きにより、斎藤軍の戦死者320人に対して、織田軍はわずかの死傷者で大勝利でした。その首実検をしたのが薬師堂前で、戦死者が祀られています。『鎧掛けの松』は首実検のおり、信長が鎧を掛けた松と伝えられています。現在は二代目です。

安八町教育委員会

前田利家復帰の戦い

槍の又左(またざ)こと、前田利家は織田信長に仕えていた武将でした。しかし永禄二年(1559)に信長のお気に入りの茶坊主・拾阿弥(じゅうあみ)と口論になり、拾阿弥を惨殺、それがもとで織田家を追放処分になりました。つまりここで浪人になったのです。

流浪しならが永禄三年(1560)の桶狭間の戦いでは敵・今川軍の兵の首を2つ取って信長に渡すも帰参は許されませんでした。そこで利家は永禄四年(1561)に起こった森部の戦いに出陣。斎藤軍の猛だった首取り足立こと足立六兵衛を打ち取ります。

その首を織田信長に持っていったところ、『足立六兵衛の首は城ひとつの価値がある』と称賛されて織田家復帰が叶いました。

【Q】足立六兵衛

美濃斎藤氏の重臣・日比野下野守清実の家臣。伝承によれば素手で首を取るほどの怪力の猛将だったという。2002年NHK大河ドラマ・利家とまつでは大八木淳史さんが演じた。

そして古戦場

かつての森部古戦場は住宅地と墓地になってます。薬師堂の前で織田信長が討ち取った者の首実検を行ったそうです。

薬師堂横にあった墓碑。永禄四年(1561)と刻まれているので、森部の戦いで亡くなった方の墓なのでしょう。

少し離れた場所に織田信長が甲冑を掛けたといわれる鎧掛けの松がありました。枯れてしまい現代では二代目なので、出世の松と名を改めて2つ立っています。

所要時間と私の感想

かつての森部古戦場は石碑、墓碑、松くらいしか残っていないので、所要時間は5~10分くらいでしょう。私の感想ですが、森部合戦はあまり聞いたことがないマイナーな合戦ですが、前田利家が織田家復帰を叶えた戦と考えると、利家を語るうえで欠かせない古戦場だと思いました。

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