美濃大垣城の水堀は湧水を利用していた!大垣城八幡宮と市内の自噴水とは

愛知県の城や戦国史跡を巡る趣味の会で岐阜県大垣市の大垣城を巡ってきました。大垣城は関ケ原合戦時、石田三成の居城として知られており、現在では続日本100名城にも認定されている名城です。その大垣城の見どころのひとつに水堀があります。

水の都の城

これは現地案内看板で江戸時代の大垣城の様子。これを見るとかつて大垣城は三重の水堀に囲まれていたことがわかります。現在でもその一部を確認することができるのです。

例えばこれは大垣城市役所の西を流れるかつての水堀。南に行くと川湊(かわみなと)があり、運河の役割も果たしていました。とにかく豊富な水なのですが、じつはこれらの水は湧き水なのです。それが分かるポイントが大垣城近くにあります。

汲み放題のミネラルウォーター

大垣城の北西約500mのところにある大垣城八幡神社。徒歩で8分ほどで着きます。この大垣城八幡神社の中に大垣市が水の都といわれるゆえんのものがあります。それが自噴水(じふんすい)、つまり湧き水です。


今でもコンコンと湧き出る水。市役所による水質検査も行われており、この大垣城八幡神社の自噴水は飲むこともできます。私も実際に飲んでみた感想ですが、夏でもヒンヤリしており美味しい水でした。近所の方は空いたペットボトルに汲んで帰っています。もちろん無料。

なぜ湧き水が豊富なのか?

大垣城がある大垣市は水の都といわれるくらい湧き水が豊富なのですが、その理由は地形にあります。簡単にいうと大垣市の西にある養老山脈(ようろうさんみゃく)の雪解け水が地下に浸透して、それが湧き水になっているのです。また周辺は濃尾平野で平地がど~んと広がり、戦国時代、江戸時代も田んぼが作りやすく米の収穫量も多かったといわれています。

現に織田信長の父である、織田信秀も一時期ではありますが大柿城(大垣城のこと)を攻め落として所領の一部に加えていました。魅力的な土地だったのです。

デメリット悪いこともあった

湧き水に恵まれ平地が広がり米も多く収穫できた大垣城と周辺ですが、良いことばかりではありません。水の都ゆえの悪いこともあります。それが水害。現に明治二十九年には大垣で大洪水が起こり、多くの家屋が浸水しました。この痕跡が大垣城天守台に水位として刻まれています。

私の感想

大垣城を巡るとき、見どころのひとつとして周辺の水堀があると思います。水の都ゆえの恵み、そして悩みもあるのでしょうけれど、今でも三重の水堀の痕跡を見ることができるので、周辺の散策もオススメです。あと水まんじゅうもw

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