戦国時代の栄養食!大久保忠教が井伊直政に勧めた意外なスグレモノ鰹節

カツオブシと聞くと真っ先に連想するのが、【ダシ】ではないでしょうか?あと冷奴やお好み焼き、うどん等に一振り、という人も多いのでは?そんなカツオブシですが、戦国時代にすでにあったらしく、しかも重宝されていました。

『重宝されていた?美味しいダシを取ることに??』

いえいえ、そうではなく、カツオブシは見た目からは想像できないほど、栄養がある食材なのです。まず、イノシン酸という旨み成分のほか、ビタミンB・D、という栄養素、さらにたんぱく質が多く、その量は牛肉の三倍以上あるとか。またカロリーも1g中3.5kcalと、高くなく、ダイエット中の人にもオススメできる食材でもあります。

もちろん戦国時代には、その様な細かな栄養云々は知られていなかったでしょうが、合戦の際はカツオブシを一本持って行く事が奨励されたりした例もあります。一説には関ヶ原合戦の時、薩摩の島津勢もカツオブシを携えて戦場に乗り込んでいたとか。あの敵中突破はカツオブシパワーなのでしょうかね?

そして江戸時代に書かれた【武教全書】という書物にも、『カツオブシは薬というワケではないが、食料がない時に噛めば空腹を満たしたり、意欲を取り戻すことにも効果的である』みたいな事が書かれています。

また関ヶ原合戦後、病に伏せっていた井伊直政を大久保彦左衛門が見舞った時、カツオブシをお見舞いの品として持って行ったとか。【ダシ】や【薬味】的なものだけではなく、メインの食材として食されていたカツオブシ。私たちの身近な【スグレモノ】ですね。

こんな名言も!

徳川(松平)家の創業期に関する詳細な書物・【三河物語】を書いた大久保彦左衛門。天下の御意見番として知られ、江戸時代の講談では、魚屋の一心太助との名コンビで一世を風靡したあの人です。

家康の旗奉行を務めており、大阪の陣で家康本隊が真田幸村の突撃で崩れかけたとき、『旗が倒れた、倒れない』の問答で、天下人・徳川家康に一歩も譲らなかったある意味【日の本一のガンコ者】でもあります。そんな大久保彦左衛門のエピソード。

関ヶ原合戦後、徳川四天王のひとり・井伊直政は病に臥せってしまいました。大久保彦左衛門が直政を見舞うため彦根に赴いたとき、手土産に持っていったのがなんとカツオブシでした。彦左衛門は直政に向かい、

『あなたは大名となり食べ物には不自由しないでしょうが、今一度衣食を改めてみてはいかがでしょうか?私は質素ですが、毎日カツオブシを食べているので病気しません』と語り、カツオブシを摂取する重要性を直政に説いたとか。

もちろんカツオブシさえ食べていれば病気しないワケではありません。前述しましたが、当時の武士が詳しい栄養成分を知っていたワケでもありません。しかし当時から『カツオブシにはなにか良い効果がある』みたいな事が認識されていたのではないのでしょうか?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする