筒井順慶の筒井城址は住宅地の中に内堀、外堀、旧街道が残る城址でした。

奈良県郡山市の筒井城址は明智光秀と親しかった大和国の大名・筒井順慶の居城跡です。織田信長の一国一城令により郡山城に移った後に廃城となりました。現在では住宅地、畑地ですが見るポイントは多く残っています。

>>筒井城址の地図

まずは縄張り図

現地にあった縄張り図。これを見ると筒井城址の見どころが詰まっているのがわかります。

●南に旧吉野街道と奈良街道が通る交通の要所

●内堀、外堀が残っている

●北市場、南市場の旧字名は城下町だった可能性がある

では早速、現地を巡ってみましょう!

内堀と外堀

筒井城址の中心部にある菅田比賣神社(すがたひめじんじゃ)の周辺に筒井城址の内堀が水路として残っています。これは南側。

菅田比賣神社(すがたひめじんじゃ)
主祭神は伊豆能売神(いずのめのかみ)。元は「篠田社(信田宮)」という名前で現在地の500m程北方にある北篠田(大和郡山市立筒井小学校東側の東あたり)に鎮座していたと伝わる。戦国時代に焼失後、筒井城内の八幡神社と合祀された。災難除け、厄除け、浄化のご利益があるとされている。

菅田比賣神社(すがたひめじんじゃ)の入口の暗渠(あんきょ)も内堀の跡です。この様に神社をぐるっと取り巻いています。

↑これは光専寺の北側に残る外堀です。縄張り図でも『もっともよく残る』という評価になっています。堀幅は5mくらいでしょうか。今でも水が流れていました。

筒井城は旧吉野街道と旧奈良街道が交差する交通の要所にあった城です。なぜ街道の近くにあったのか?その理由は2つ。

【物流】城内に各地からの物資を運び込むことができる

【防衛】軍隊が街道を通るとき、筒井城を攻略しなければ補給路、退路を絶たれる

これら街道は、現在では国道や住宅地の道になっていますが、今でも旧街道の雰囲気が残っています。

吉野街道
現在の奈良県の奈良盆地から南部の吉野地域(吉野郡一帯)に向かう主要なルート。吉野は歴史的に天皇や貴族、武将たちが訪れた場所であり、壬申の乱や南北朝時代、源平合戦など、日本の歴史の舞台ともなっている。

奈良街道
奈良街道(ならかいどう)は、奈良(大和国)へ至る歴史的な街道の総称。京都や大阪から奈良を結ぶ複数のルートが存在する。

虎口跡

縄張り図にあった虎口跡。実際に歩いてみた感想ですが、道はS字になっており側面攻撃できたのでしょう。でも道幅?虎口幅はこれくらいなのでしょうか?とにかく細く2人並んで歩けないくらいでした。

私の感想

私の筒井城址の感想ですが、住宅地の中に城の遺構が色濃く残っており、十分楽しめました。所要時間はじっくり巡ったので1時間くらい。近くには筒井順慶が居城を移し、豊臣秀長ゆかりの城としても知られる大和郡山城もあるので、セットで巡るのがおすすめです。

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